2007年 01月 11日
首都、マドリッドへ |
ヴァカンスは10日だけでしたから余りゆっくりは出来ません。次なる目的地、マドリッドへ向かいました。バルセローナ~マドリッド間の列車は強盗に遭う危険がとても高いと聞いていました。4人で一室のコンパートメントです。皆と一通り挨拶を交わしますが、誰もが怪しく思えて仕方ありません。現金を分散して隠し、リュックは脚に縛り付けました。長く不安な夜が明け、無事にマドリッドに着きました。
マドリッドでは初めての闘牛を見たり、色々な観光名所に足を運びました。そして夜はやはりバル巡りです。スペイン語は全く勉強していませんでしたが、フランス語が通じる場合が多いのと、旅行ガイドに載っている片言のスペイン語で大方事足りました。
バルでは立ったまま、ビールを片手にイカや鰯のフライ、スペインオムレツ、チョリソなどを次々と食べます。口元を拭いたナプキンや食べかすは、既にゴミだらけの足元に落とすのが流儀です。初めは気が引けて自然に出来ませんが、その内酔いも回って来て、遠慮なく捨てるようになります。何ともこのスタイルが気に入りました。ここはスペインなんだ!フランスにはない開放的な雰囲気の中で、心は完全にヴァカンスしていました。
フランスへの列車が出るスペイン(マドリッド)最後に日に、時間の余裕があったので街外れの蚤の市(ラストロrastro)に行きました。パリにあるそれと同じでガラクタ市です。目欲しいものは何もありません。市の端まで来て戻ろうとした時、仔犬が数匹ダンボールの中に入れられて、ミャーミャーと鳴いていました。
もう目は釘付けです。未だまともに歩けない、小さな小さな仔犬です。思わず「Cuanto costa?」(いくら?)と聞いていました。興奮した頭で、買っても連れて帰れるのか、フランスでの生活に邪魔にならないのか、と考えましたが、答えが出る前に代金の3,000ペセタ(=3,000円くらい)を支払っていました。
こんな赤ちゃん仔犬は飼ったことがありません。両手でそっと包んで街中まで戻りました。公園の芝生に座り、観察しました。未だ目もよく見えていないようでした。とにかく何か与えないと、と思い、近くにあったマクドナルドに飛び込みました。商品としてあったのかどうか分かりませんが、ミルクを注文しました。「レーチェ!レーチェ!」(ミルク!ミルク!)と叫ぶと、ちゃんと出て来ました。それまでは嫌いだったマクドナルドがいっぺんに好きになりました。
公園の芝生に戻り、ミルクをやりました。嬉しいことに、少しずつ少しずつ飲んでくれました。何とか生きて欲しい、死なないでくれ、そんな気持ちでパリへの列車に乗り込みました。コンパートメントの同室者に仔犬を連れていると伝えると、快く受け入れてもらえました。リュックの中にあった小物の整理に使っていた弁当箱大のタッパーを、仔犬のベッドにしてやりました。
マドリッドでは初めての闘牛を見たり、色々な観光名所に足を運びました。そして夜はやはりバル巡りです。スペイン語は全く勉強していませんでしたが、フランス語が通じる場合が多いのと、旅行ガイドに載っている片言のスペイン語で大方事足りました。
バルでは立ったまま、ビールを片手にイカや鰯のフライ、スペインオムレツ、チョリソなどを次々と食べます。口元を拭いたナプキンや食べかすは、既にゴミだらけの足元に落とすのが流儀です。初めは気が引けて自然に出来ませんが、その内酔いも回って来て、遠慮なく捨てるようになります。何ともこのスタイルが気に入りました。ここはスペインなんだ!フランスにはない開放的な雰囲気の中で、心は完全にヴァカンスしていました。
フランスへの列車が出るスペイン(マドリッド)最後に日に、時間の余裕があったので街外れの蚤の市(ラストロrastro)に行きました。パリにあるそれと同じでガラクタ市です。目欲しいものは何もありません。市の端まで来て戻ろうとした時、仔犬が数匹ダンボールの中に入れられて、ミャーミャーと鳴いていました。
もう目は釘付けです。未だまともに歩けない、小さな小さな仔犬です。思わず「Cuanto costa?」(いくら?)と聞いていました。興奮した頭で、買っても連れて帰れるのか、フランスでの生活に邪魔にならないのか、と考えましたが、答えが出る前に代金の3,000ペセタ(=3,000円くらい)を支払っていました。
こんな赤ちゃん仔犬は飼ったことがありません。両手でそっと包んで街中まで戻りました。公園の芝生に座り、観察しました。未だ目もよく見えていないようでした。とにかく何か与えないと、と思い、近くにあったマクドナルドに飛び込みました。商品としてあったのかどうか分かりませんが、ミルクを注文しました。「レーチェ!レーチェ!」(ミルク!ミルク!)と叫ぶと、ちゃんと出て来ました。それまでは嫌いだったマクドナルドがいっぺんに好きになりました。
公園の芝生に戻り、ミルクをやりました。嬉しいことに、少しずつ少しずつ飲んでくれました。何とか生きて欲しい、死なないでくれ、そんな気持ちでパリへの列車に乗り込みました。コンパートメントの同室者に仔犬を連れていると伝えると、快く受け入れてもらえました。リュックの中にあった小物の整理に使っていた弁当箱大のタッパーを、仔犬のベッドにしてやりました。
by comme-tu-veux
| 2007-01-11 22:59
| フランス思い出話