2007年 01月 18日
アルザス Colmar コルマールでは |
コルマール駅前のホテル、Hotel Bristre(オテル・ブリストル)にあるレストランに働き口を見つけました。着いた日の夜に、駅舎の中にあるレストランで、念願だったシュークルートを食べました。シュークルートはご存知と思いますが、塩漬けし、発酵させたキャベツの煮込みです。それにソーセージやベーコン、豚のすね、じゃが芋などが添えられています。このように肉類が盛られたものも同じくシュークルートと呼ばれます。土地柄、ビールと共に味わうのが決まりです。
大皿にてんこ盛りになったシュークルートが運ばれてきました。肉類の量もさることながら、シュークルートがどんぶり2杯分はあります。ソーセージや豚肉ににマスタードを付けては食べ、次にシュークルートを頬張ります。これを交互に繰り返しますが、いくら食べても減りません。しかし日本男児の胃袋をなめられてはいけません。もう意地でも平らげる覚悟です。ビールを何杯もお替りし、1時間以上かかってやっつけました。
働くこととなった所は、厨房は1つなのですが、1つ星のレストラン(Rendez-vous de chasseランデヴー・ドゥ・シャッス=”狩の約束”)と、隣接してある比較的大衆向けのレストラン(名前は忘れました)の両方の料理を作っていました。もちろんシュークルートも看板料理です。シュークルートそのもの(キャベツの方)は専門業者が作ったものを仕入れて、それをたっぷりのアルザス産の白ワインで煮込んでいました。賄いでも週に1~2度は食べました。美味しいの何の、生涯最後の食事に何を選ぶか?と聞かれたら、迷わずシュークルート!と思うほど今でも大好きです。
住む所はホテルの最上階、というと聞こえはいいのですが、小さな屋根裏部屋です。当時はもう住んでいませんでしたが、きっと昔はメイドさん達の部屋だったのだと思います。ここは、これまで住んだ中で初めての風呂付の部屋でした。ちゃんとした湯船です。もう嬉しくて嬉しくて、毎晩お湯を溢れんばかりに溜めて、ジャブジャブ使いまくりました。もちろんアンナも頻繁にシャンプーしてやれました。アンナは嫌がっていましたが・・・。
この店には日本人が私の他に2人働いていました。どちらの方も仕事の出来る料理人でした。とても広い厨房で、別の部署だったと思います。一緒に作業した覚えはありません。厨房の中ではフランス語以外にアルザス語が話されていました。ドイツ語に近い言語です。ouiウイがjaヤー、nonノンがneinナインと、それだけは分かりましたが後はチンプンカンプンでした。
これまで働いた中でのフランス人の印象とは全く反対に、アルザスの人達はとても勤勉でした。地政学的、歴史的影響もあるのでしょう。質実剛健、そのものです。仕事中に無駄話などしている人は誰もいません。厨房には規律があり、誰もが懸命に働き、システムが正しく機能しています。仕事を苦役と考えているフランス人の一般的な労働意識の内で、それは特異な感じさえしました。
今まで働いた中で最もハイレヴェルな仕事環境です。腰を据えてやろうと思ったのですが、思わぬトラブルが起こりました。初めての給料日のことです。ここに来る前に電話で約束していた金額の半分しか入っていません。すぐにオーナーに掛け合いましたが、足元を見ているのでしょう。そんな約束してないと言い逃れます。おまけに大変高圧的な態度です。何と言っても、1つ星クラスになると、無給でもいいから働かせてくれと言う日本人がいるのですから、特別なことでもない限り、好条件は望めない現状があるのです。
しかし、約束したのは事実です。いくらフランス語が達者でなくてもこんな大事なことを聞き間違えたりしません。賃金以外に大事なことなど他にないわけですし。
一晩悩みましたが、値切られてまで勤める気はしませんでした。せっかくの職場でしたがやめることにしました。前のカシスではわだかまりなく終わったのですが、コルマールを去る時は、釈然としない気持ちで一杯でした。
余談ですが、3つ星くらいになると世界中から多くの料理人がポストを求めて集まりますから、労働許可証を持っていない日本人などは運良く入れても短期の研修生扱いで、賃金は貰えるどころか逆に研修費を取るところさえあります。お金を払って働かせてもらうのです。おまけに芋の皮むきなどの誰でも出来る下拵えに専従させられ、要所は見ることさえままならないと言われています。まあ、3つ星レストランで働いたと言う名目だけのキャリアを”買う”コースが出来上がっているのですね。店としても、膨大なコストが掛かる3つ星レストランの経営を、使い放題の熱心で勤勉な無賃労働者が下支えしてくれると云うメリットがある訳です。おまけに友人知人、日本から家族まで店に来て、高額なお金を落としてくれたりしますし。
大皿にてんこ盛りになったシュークルートが運ばれてきました。肉類の量もさることながら、シュークルートがどんぶり2杯分はあります。ソーセージや豚肉ににマスタードを付けては食べ、次にシュークルートを頬張ります。これを交互に繰り返しますが、いくら食べても減りません。しかし日本男児の胃袋をなめられてはいけません。もう意地でも平らげる覚悟です。ビールを何杯もお替りし、1時間以上かかってやっつけました。
働くこととなった所は、厨房は1つなのですが、1つ星のレストラン(Rendez-vous de chasseランデヴー・ドゥ・シャッス=”狩の約束”)と、隣接してある比較的大衆向けのレストラン(名前は忘れました)の両方の料理を作っていました。もちろんシュークルートも看板料理です。シュークルートそのもの(キャベツの方)は専門業者が作ったものを仕入れて、それをたっぷりのアルザス産の白ワインで煮込んでいました。賄いでも週に1~2度は食べました。美味しいの何の、生涯最後の食事に何を選ぶか?と聞かれたら、迷わずシュークルート!と思うほど今でも大好きです。
住む所はホテルの最上階、というと聞こえはいいのですが、小さな屋根裏部屋です。当時はもう住んでいませんでしたが、きっと昔はメイドさん達の部屋だったのだと思います。ここは、これまで住んだ中で初めての風呂付の部屋でした。ちゃんとした湯船です。もう嬉しくて嬉しくて、毎晩お湯を溢れんばかりに溜めて、ジャブジャブ使いまくりました。もちろんアンナも頻繁にシャンプーしてやれました。アンナは嫌がっていましたが・・・。
この店には日本人が私の他に2人働いていました。どちらの方も仕事の出来る料理人でした。とても広い厨房で、別の部署だったと思います。一緒に作業した覚えはありません。厨房の中ではフランス語以外にアルザス語が話されていました。ドイツ語に近い言語です。ouiウイがjaヤー、nonノンがneinナインと、それだけは分かりましたが後はチンプンカンプンでした。
これまで働いた中でのフランス人の印象とは全く反対に、アルザスの人達はとても勤勉でした。地政学的、歴史的影響もあるのでしょう。質実剛健、そのものです。仕事中に無駄話などしている人は誰もいません。厨房には規律があり、誰もが懸命に働き、システムが正しく機能しています。仕事を苦役と考えているフランス人の一般的な労働意識の内で、それは特異な感じさえしました。
今まで働いた中で最もハイレヴェルな仕事環境です。腰を据えてやろうと思ったのですが、思わぬトラブルが起こりました。初めての給料日のことです。ここに来る前に電話で約束していた金額の半分しか入っていません。すぐにオーナーに掛け合いましたが、足元を見ているのでしょう。そんな約束してないと言い逃れます。おまけに大変高圧的な態度です。何と言っても、1つ星クラスになると、無給でもいいから働かせてくれと言う日本人がいるのですから、特別なことでもない限り、好条件は望めない現状があるのです。
しかし、約束したのは事実です。いくらフランス語が達者でなくてもこんな大事なことを聞き間違えたりしません。賃金以外に大事なことなど他にないわけですし。
一晩悩みましたが、値切られてまで勤める気はしませんでした。せっかくの職場でしたがやめることにしました。前のカシスではわだかまりなく終わったのですが、コルマールを去る時は、釈然としない気持ちで一杯でした。
余談ですが、3つ星くらいになると世界中から多くの料理人がポストを求めて集まりますから、労働許可証を持っていない日本人などは運良く入れても短期の研修生扱いで、賃金は貰えるどころか逆に研修費を取るところさえあります。お金を払って働かせてもらうのです。おまけに芋の皮むきなどの誰でも出来る下拵えに専従させられ、要所は見ることさえままならないと言われています。まあ、3つ星レストランで働いたと言う名目だけのキャリアを”買う”コースが出来上がっているのですね。店としても、膨大なコストが掛かる3つ星レストランの経営を、使い放題の熱心で勤勉な無賃労働者が下支えしてくれると云うメリットがある訳です。おまけに友人知人、日本から家族まで店に来て、高額なお金を落としてくれたりしますし。
by comme-tu-veux
| 2007-01-18 18:01
| フランス思い出話